7.13水害から3年

新潟日報 - 水害から3年、犠牲者を追悼
新潟県では発生した日付から通称「7.13水害」と呼ばれている豪雨災害が3年前の今日、2004年7月13日に起こりました。
高齢者を中心に15人が亡くなり、多くの住宅などが浸水・損壊した災害でした。
個人的にも、地元の地域が水害にド直撃の状態で、同級生が1階が浸水した家屋から消防隊に救助される様子をテレビで目撃するなど、見なれた風景がウソみたいに一変するという、非常に衝撃を受けた災害でもあります。
あれから、もう3年か……という気持ちもあり、まだ3年か……という気持ちもあったりと、複雑な思いでいます。


月並みな表現ですが、自然の猛威というのを感じたり、また現在そのときと同じように沖縄・九州で水害に遭われている様子をテレビで見ていると、どうも落ちつかなかったりして、なんとなくうまく文章がまとまらないので、当時の写真を引っ張り出してみることにします。



7.13水害は、信濃川の支流である、五十嵐川刈谷田川の堤防が決壊して被害が拡大しました。

こちらは、その五十嵐川の決壊した堤防の現場付近の写真です。撮影したのは確か23日前後ですが堤防の、のり面が大きく崩れているのが分るでしょうか*1

その堤防の上から撮った写真。

決壊してしまった堤防の代わりに仮の堤防として、鉄板と土嚢で補強しています。


決壊した堤防付近の電柱にひっかかった樹木など。

住宅の周りにも多くの木やゴミなどが、流れついています。

流れてくるのは木だけではなく、自動車もどこからか流れてきました。こちらは、水田のど真ん中に。

再び堤防付近ですが、自動車。


こちらも、流れついた自動車。ちなみにこの場所は、空き地ではなく、元は水田だったのですが、大量の泥が堆積して稲穂の面影が全く無くなってしまっています。





流れてしまったのは、自動車だけでなく、

住宅も押し流してしまいした。


水の勢いは、何かを運んでくるだけではなく、持っていったりもします。

このお宅では、道路に面したところに(一段高くなってる辺りに)生け垣があったそうなのですが、根こそぎ水で流されてしまったそうです。

こちらは、床上浸水だったので、床下を剥がし溜まった泥を手分けして掻き出しているところ。その前段階に、濡れた家財道具を片付け、水を吸って重くなった畳を運ぶ作業も当然必要になります。




こちらも床上浸水の様子。

場所は三条駅近くの公民館で、板張りの遊戲スペースでしたが、泥まみれになった上、床板がべこべこに波打っています。





道路には、水に浸かって使えなくなった家電や家具などを廃棄するために、山のようにゴミが積まれていました。


当然、お店なんかは商品が濡れてしまえば売れませんから、ゴミが高く積まれてしまうわけです。




これは、復旧作業を終えたボランティアたちを迎える、ボランティアセンター。

なにせ泥まみれになるので、水で道具などを洗い流したりしています。
災害直後、全国ニュースでも大きく取り上げられたせいか、県外からも多くのボランティアが駆けつけてくださいました。ただ、ボランティアをしたい人が集まっても、それを統括・管理・配置するする人が足りなかったのも事実で、ボランティアを頼みたいけれど頼めなかったり、逆に頼まれたけれども現地に行ってみたら言われたのと違う作業を指示されたり、などトラブルも多々ありました。


また、ボランティア以外についても災害発生時に対する行政の対応には問題があったりもしたのですが、そうした教訓が同年の2004年10月末に起きた中越地震で早速活かされたりしたのは、なんとも皮肉な結果ではありますね。


*1:見た目の崩れ自体は補強工事なんかの影響でしょうが