霧の向こうに感じれる「個」のある人たち

こちらから、ちょっと連想されるイメージが浮かんだので、図化してみました。といっても「場」までは難しいので、次元を落として「個」までの話ですが。


上のエントリーを読んでいて、思い出したのが hirax.net に以前掲載されていた*1この文章でした。

私にとっての私自身のWEBサイトは何だろうか。それは、多くの場合ひとりごとを漏らしてみる場のような気がする。公の空間の中で一人つぶやくひとりごとに似ているような気がする。


(中略)


そして、時折そのひとりごとに答えてくれる人がいる。ひとりごとに何処かにいる透明人間が答えてくれる一瞬だけ、透明人間は透明でなくなる。少なくとも、その瞬間には確かに目に見える人間が私のひとりごとに色んなアドバイスや返事をしてくれるように思う。その一瞬だけは透明人間ではなくて、そしてそれが繰り返されていると、それはいつの間にかれっきとした人間でしかなくなるように思う。そして、時にはそんな風に透明でなくなった人と実際に会ったりすることもある。
ボールをインターネットの霧の向こうに投げていると、不思議なことにたまにそのボールが返ってくる。人間同士のコミュニケーションとしてはとても洗練されていないぶん、とても不思議な気分になることがあるのも確かだと思う。飲み屋で例えるなら、偶然居合わせた何処かの誰かが突然私がつぶやいたひとりごとに割って入ってくる感じだ。一過性のそんなコミニュケーションと似ているような気がする。

こちらからさらに連想して

霧の向こうに

ネットに文章を書いていると、アクセス数から閲覧されていることは分っても、それを実感することがそう多くはありません。

記事を書いたところで、それらに対する反響はほとんどなく、アクセス解析でなんとなくその人影をぼんやりと確認するくらいです。しかしそれでも、ちゃんと読まれているのか、検索から来てすぐにページを消されたのかさえわかりません。

「閲覧者」とは言ってもその姿はぼんやりとして、ぼやけた印象です。



ただ、ときおりメールや掲示板に書き込まれると、それがはっきりとした人として認識されるようになります。どういう風に自分の文章が読まれたか、どんな感想を持ったのか、それらが少しですが理解できるわけです。


まぁ、そういった機会はそう多くなくたまにしかありませんが。

霧の先が少しだけ見えるようになってきた

しかし、以前はメールや掲示板が主流だったためそれほど交流を持つ機会はありませんでしたが、ブログ時代になってコメント欄やソーシャルブックマークからの意見というのが得られるようになりました。


つまり、こういう事ですね。
ソーシャルブックマークのタグやコメントは、従来のメールや掲示板などに書き込むことよりもずっと手軽に、また気軽に意見を感じれます。例えば私のブログのような小さい規模ですと、メールなどは滅多に来ませんが、ソーシャルブックマークでの意見ならそれなりにいただていますし。
かつてのソーシャルブックマーク以前のネットに比べると、「独りで呟いている」という感覚はかなり薄れていると実感しています。それは「閲覧者」が見えない、霧のようなものではなくなり、今までメールなど積極的にアプローチをしてきた人以外でも、ソーシャルブックマークやブログのコメント欄という手軽なツールによって、「個」を持った人として感じられるようになったからです。

多過ぎる「個」の反応

ただ、大き過ぎるとそれがマイナスにも働くでしょう。

人気のあるブログであったり、発言の内容が過度に注目された場合、その「個」たちの反応が多過ぎてそれらの存在感をネガティブに捉えられることもあるわけです。

小さいブログだからこそ利点のある仕組み

また以前、小寺さんの記事で、
ITmedia +D LifeStyle:ネットから長文が消えたいくつかの理由 (1/3)

さらに近年は、文章すら見られなくなったブログも増えた。特に最近顕著なのが、「はてな」のブログだ。「はてな」のブログには、はてなブックマークという機能がある。気になるネットの記事に好きなタグを付け、100字程度のコメントも付けられるというものだ。

記事に対してブックマークするということは、関心があるという表れに違いない。だがその反応の詳細は、明らかになることがない。良いことか悪いことかわからないが、とにかくなんらかの反応があったということがわかるという、出席簿みたいなものである。

このようにやや否定的に捉えていましたが、それは既に大きな影響力を持っているため、容易に反響を得られやすいからそういう側面が大きく感じられるのではないか、と私は考えています。
具体的に言えば、私のブログのような小さい影響力しか持っていなければ、そもそも反応すら少ないのですから、ソーシャルブックマークなどによる、敷居の低いコミュニケーションツールがあることで、より幅広く意見を聞き取ることができるのは、大きな利点だと考えています*2

ネットで文章を書いていて時々不安になるのが、果たしてこんなことを書いていて読んでくれる人はいるのだろうか?ということ。
従来はそんな疑問を解消する機会は少なかったですが、今は割と簡単に反響を確認することができるわけです。アクセス数というあやふやな、まるで霧のようなものから、ソーシャルブックマークのコメント等の「個」としての反応を感じれることで、日々更新する*3意欲になっています。

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*1:現在は閲覧できないので、Internet Archives から

*2:ただしその反面、今まで文章で反応していた人たちが安易なブックマークで済ますため、中身の濃い反響が少なくなるということはあると考えています

*3:日々と言いつつお休みの方が長いですが