はてなカウンティングに自分の命日が設定されたらどう思うだろうか?というのをぼんやり考えた。

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Hatena::Counting
一応、もし私がうっかり死んでしまって、カウンティング*1に命日が登録された場合のことを表明しておくと「まぁ、別に良いんじゃね」っていう。個人的に(自分が登録されるのなら)面白いなー、とは考えてる。



考えられるパターンとして、これまでにネットの交流を通じて私の本名を教えている方などが数人いるので、私が事件・事故に巻き込まれてうっかり死亡したニュースをそういう方が見るとか……などという事がもしかすると起きるかもしれないなー、という辺り。

悪趣味だとか、不謹慎だとか反発する人も少なくないだろうし、私が他の人を登録するかどうか?はまた違う意見なものの、ま、私(id:rikuo)が登録される分には特に反対はしない、という立場。
どうせ、2桁の日数程度で忘れられると思うけれどね。


グリーフケアの観点から

これは対象が私だけではないけれど、
通夜・葬式、月命日、四十九日、納骨、新盆、n周忌などなど、こういうものは生きてる人が亡くなった人のことを受け入れるためのステップみたいなものだと考えている。形式ばって面倒だからこそ、まぁ作業として身体を動かすことで、多少なりともその喪失感を埋めるものになるんじゃないかなーと*2
ある意味、区切りとか時間の経過を実感して、生きてる人が元気を取り戻すきっかけになればいいなー、っていう。


なので、信心のない私からすれば、何かしらの気が紛れれば目的としてはオッケーなので、私の為に葬式をあげる必要は無いし、お経を読む必要も無い、とも考えてるくらい*3


ちょっと話はそれたけれど、そんな風に考えているのでカウントが増えていくことに何らかの、節目なり時間の経過なりを感じられるのであれば、命日からのカウントというのはアリなんじゃないかなー(少なくとも私のものなら)とぼんやり思った次第。

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*1:か、またはそれに類するサービス

*2:とはいえ、実際そこまで達観できているものでもなく、受け入れられることがなかなかできず、長く引きずる別れもあるんだけれども

*3:一応補足しておくと、私が家族の死を迎えた場合はちゃんと葬式やるつもりです。そこは信心というより礼儀みたいな感じかなー、あくまで「自分が死んでしまったら」という