自殺した人を責める?これ以上どうやって?
[twitter:@egachan]氏の考えとしては『自殺した人は死んでからも世の中から責められて当然。自殺という選択をした人は最低の人間』で、『自殺したことをもっと攻めるべき。自殺するやつは最低だ。と。』だそう。
亡くなった人をこれ以上どう責めるのか?当然その人自身には直接文句も言えないですから、どうするのでしょうか?公然と亡くなった人を糾弾するのでしょうか?
話は変わりますが、あしなが育英会という組織があります。
http://www.ashinaga.org/
病気や交通事故や事件、災害で親を失った子供(遺児)を支援するNPOで、奨学金制度を通じて遺児の進学などを支える活動を行っています。また、親を失った精神的なショックのケアなども行われ、遺児同士が交流する場などを設けたりもしています。
そうした中で、自分の体験を話すという「つどい」という催しもされています。子供にとって、親を亡くすのは非常に辛い体験です。普段の生活の学校の同級生・友人にはなかなか心の内を明かせなくても、その場は皆が同じような体験をしているため、遠慮することなく心中を吐露できる機会になるわけです。「自分の親は地震や災害で亡くなった」とか「交通事故で死んでしまって口惜しい」など涙ながらに自らの思いを語ることもあるそうです。
ですがそうした同じはずの、親を亡くしたコミュニティにおいても、なお孤立する遺児たちがいます。
それが自殺で親を亡くした、自死遺児です。
- 作者: 自死遺児編集委員会あしなが育英会
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タイトル通り「自殺って言えなかった。」……そんな心境が語られています。あしなが育英会、という同じく辛い体験をしたコミュニティの中にいても、自死遺児たちは自分の辛い心の中を見せることができませんでした。なぜなら「自殺=悪」ですから。
不慮の事故・病気などで親を亡くした仲間たちは「もっと生きて欲しかった」「お父さんは、きっともっと生きたかっただろうに」と、悲しんでいるわけです。そんな場において、自ら死を選んでしまった親のことはなかなか言い出せません。
父親を自殺で亡くしたケンジさんの言葉です*1
「つどい」の数日間のなかには、”自分史を語る”という、つらかった体験を分かち合う時間があります。そこで私は、父の死について話さなければなりませんでした。私は同じ班になったみんなが、病気や事故、地震などさまざまな理由で親を亡くしたという話を聞いて、とてもかわいそうだとは思いましたが、それでも正直なところ、「自分の父の話をするべきでない」と思っていました。
自殺というのは非常に難しい問題です。せっかく仲よくなりかけた班の仲間に父親の自殺のことを話したら、みんなから変な目で見られるのではないかという不安が私にはありました。それに母の言っていた「誰にも言ってはいけない」という言葉も、私の中に強く残っていたのです。
父親を自殺で亡くした斎藤さんの手記*2でも
そこに集まったみんなは、涙ながらに自分の体験を語ってくれました。
「お父さんはがんで亡くなった。死ぬ間際、涙を流しながら死んでいった。お父さんは死にたくなかったんだ」
その言葉は、私にはつらいものでした。「じゃあぼくの父は、死にたくて死んだのか……」、そんな思いが胸に刺さる。苦しい。話せない。「父は事故で死にました」と私は嘘をつきました。ほんとうは違うとわかっているのに、同じ遺児の仲間にも言えませんでした。言えない。どうしても言えない。何がそうさせるのか、その理由はわからなかったのですが、言えなかったのです。
こうした、同じコミュニティの中でも言い出せなかった苦しさ、というのは本書の他の手記でも語られています。まして、普段の人間関係であれば、自殺したこと・亡くなったことすらも隠してしまう……そんな状況にもなっています。
同じく父親を自殺で亡くした松原さんの手記*3では
父が自殺したことへのショックは、年月がたつにつれて徐々に大きくなっていきました。
「自殺ということは絶対に誰にも言うな、事故だったとでも言いなさい」と親戚中に口止めされ、自殺は悪いことで、父は間違ったことをしてしまったのだと思うようになっていました。父は弱い人間だから自殺してしまった。父が自殺したということを誰かに話せば、私はみんなに嫌われてしまうだろう、離れていくのだろうと思い、父が自殺したことをまわりでささやかれているのではないか、と常におびえていました。
友達が親の話をしているときには静かにその場を離れたり、父のことを尋ねられても、いないとさえ言えずに、「普通の会社員だよ」などと嘘をついていました。
(中略)
そうしていくうちに、しだいに父のことを聞かれることが怖くなり、誰に対しても壁をつくるようになっていました。どんなに信用している友だちでも、父のことはけっして口にはできなかったし、しようとも思いませんでした。
と、周囲にも相談できず、孤立していくわけです。
それはなぜならば……繰り返しますが「自殺=悪」ですから。
そして、自殺で家族を亡くした人は自責の念から、思い詰めることもあります
父親がトラックの中で排気ガス自殺をした、井上さんの手記*4
お母さんが発見する何十分も前に、ぼくがお父さんを見つけていたら、お父さんは生きていたかもしれません。ぼくがお父さんの支えに……、たとえそこまでいかなくても話し相手になれていたら、お父さんは死なずにすんだかもしれません。そう思うと、自分がお父さんを見殺しにしてしまった気がして、どうしても自分を許せなくなりました。
そのときから、ぼくの中で考え方が変わりました。お父さんが自殺したから、高校に行けなくなるかもしれなかったり、幸せになれないのではない。ぼくがお父さんを見殺しにしてしまったんだから、高校に進学することは贅沢なことで、ぼくは幸せになってはいけないし、人を好きになることもしてはいけないんだ、と。ぼくは自分を責めつづけました。
「ぼくは生きていていいのだろうか、生きる資格があるだろうか。お父さんを見殺しにしてしまったぼくなんか死んでしまえ!」
そう思いながら、ぼく自身も自殺を考えていました。
この本では遺児の手記が主体ですが、それ以外にも伴侶を亡くしてしまった方の手記もあり、周囲からのなぜ救えなかったのかと責められたり、また自分のせいではないかと思い悩むこと多いです。これは家族に限らず友人や恋人でも同じでしょう。
[twitter:@egachan]氏は「自殺=悪」とすれば、自殺が減るに違いない……と考えているようですが、現在の環境でも既に自殺した人を責める状況にあります。
さらにこれ以上、自殺した人を責めるならばどうなるか?自殺した人自身はもう帰ってきませんが、責められた矛先はその周囲・家族や友人に向かうでしょう。「どうして自殺を止められなかったのか?」「なぜ生きている間に力になれなかったのか?」「最も身近にいたはずなのに変化に気づかなかったのか?」現状であっても、もう責められていますし、家族自身はなおさら自らを責めています。
それでも、さらに責める?
上でも引用した、父親を自殺で亡くした斎藤さんの手記*5の結びの部分からですが
どうして死んでいったのか、何で自殺をしなくてはいけなかったのか。どうして私や私の家族は、その自殺に気づくこと、止めることができなかったのか……。
社会は自殺を個人のせいにします。では、ほんとうにその人が弱かったからいけないのでしょうか。家族を捨て、自分だけが逃げたのでしょうか。ほんとうにそうなんでしょうか?
では、私の父も弱かったのでしょうか。すべての苦しみをひとりで抱え込んでいた父は、弱い人だったのでしょうか。父は私たち家族のことをを真剣に考え、借金との狭間で苦しんでいました。その結果、自殺しか見えなくなっていたんだと思います。そんな人を責めることをできるのでしょうか。実際、私の父は立派な人でしたし、尊敬もしています。すばらしい父でした。父のことを大好きだと胸を張って言うこともできます。
そんな私の父がたどってしまった苦しみ、そして自殺……。もうこんなことは二度と起きてほしくありません。だからこそ思うのです。どんなに苦しくても、悩みを抱えていても、誰かに相談できたり、何らかの方法で死ななくてもすむ社会をつくってほしい。いや、つくっていきたい。だからこそ、日本のみなさんがこの問題に温かい心をもって接してくれることを私は望んでいます。
自殺は経済的なものが原因だったり、健康面であったり、人間関係であったり……と様々な理由があって思い悩み、死を望んだというよりは死を選ばざるを得なかった、死を選ばされた状況にあるんじゃないか、と思います。
それぞれの状況を解決するのは簡単では無いのですが、自殺した人を安易に責めるのでは今以上に遺族・遺児は孤立してしまいますし、自殺の防止にもならないでしょう。それよりも(悩んでいる本人なら)周囲に相談するとか、悩みを聴いてあげるとか、ほんの少しでも手を差し伸べるところからが、小さくて地道なんですが、自殺を救える一歩になるんじゃないか、と私は考えています。
私自身は
私自身は自死遺児ではないのですが、友人を自殺で亡くしています。彼と最後に交わした会話は割と普通に(私が授業サボるところで)「え、もう帰るの?」というものでした。
今から考えてみると、そのときにもう少し話をしたりしていれば、違う結果になったのかな、と後悔しています。遺書が残されていなかったこともあり、自殺の直接の原因が分からず、なぜ彼が自殺したのか悩んだこともありました。
そうした経験から、自殺は周囲の人間を悲しませるし、悪いことだ、という点は私も理解していますが、だからと言って安易に過剰に責めることは同意できません。